N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

音楽の捧げもの

 1960年代後期に大学に進学し、アルバイトしてレコードを買った。団塊世代にとって少なくない体験のひとつが今も記憶に残るのは、レコードが高かったからである。
 再生装置も高かった。ソニーが若者向けに出したオーディオコンポのプレーヤーのカートリッジの規格は、MMでなければMCでもなく、安物のセラミックだった。チューナー兼アンプのボリュームをすこし上げればレコードプレーヤーのゴロゴロという音を拾ってくれた。プレーヤーもベルトドライブなんて高級なものでなく、モーター直結のゴム部品の回転をこすりつけるだけ。そんな3万円台の安物セットでも大学生協で月賦買いすると決めるには100日分の勇気とバイトが必要だった。
 そのころ、金がないときに空腹をごまかす必需品が東洋水産の「マルちゃんダブルラーメン」35円也であった。これがあれば1日をすごすことができる。キャベツのヘタでも入ればぜいたくなもの。その35円がほしくて遠い古本屋まで歩いて、泣くような思いで本を売った。当時、外食では北大生協食堂のカレーライスまたはラーメンが60円。タクシー初乗り料金が90円の時代だった。

 初めて買ったレコードはアルヒーフ原盤のJ・S・バッハ「ブランデンブルク協奏曲」、カール・ヒリター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏である。しっかりしたキャンバス製の箱に入った輸入盤LP2枚組。近くて遠い道のりだった。
 それから同じリヒターによる「音楽の捧げもの」、パブロ・カザロスの「無伴奏チェロ組曲全集」など。
 クラシックのLPレコードはわたしのささやかな宝物である。
 JAZZを聴いても演歌を聴いてもJポップを聴いても、ひとり帰る先にクラシック音楽があるのは安心貯金だったような気がする。感傷や追憶とは無縁に時空のなかで立っているのだがすこしも冷たくない。バッハやハイドンの仕事には古典の古典たる美と巧みがある。
 それは現代に引き継がれていて、たとえばキース・ジャレットのブレーメン、ローザンヌのソロコンサートを記録した3枚組のLPで知ることができる。強靭で美しいピアノタッチひとつに古典が光り、次の世代に受け継がれる。

 秋のある日、わたしが病を得てコンサートに行けないことを知った札幌交響楽団のM澤さんが旧知のY田さんを伴って、公演の記録を携えて病院に見舞いに来てくださった。みんなが大好きなラドミル・エリシュカさん指揮のドボルジャーク「チェロ協奏曲」、チェロは首席奏者の石川祐支さん。わたしは東日本大震災後のチャリティーコンサートで石川さんの演奏を身近に聴いてすっかりファンになっていた。そしてブラームスの「交響曲第3番」。
 宝物がまたふえた。

 暮れにギターのジム・ホールが亡くなった。年明けにベースのロン・カーターとブルーノート東京で公演の予定が入っていた。ピアノのビル・エバンスと「アンダー・カレント」という美しい演奏とジャケットのLPを残した。合掌。
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 あたらしいJAZZピアニストを知った。「Nobody Goes Away」という4作目のCDのカバー写真はわたしの散歩・ジョギングコース、旭山公園の「チェーホフの小径」だ。札幌出身の外山安樹子(とやまあきこ)さんという。十分な実力を備えている。どんな仕事をしてゆくか楽しみだ。

 暮れも押し迫って旧知のJAZZボーカリスト、木村篤子さんがギタリストの長沼タツルさんと拙宅においでになった。
 “Night and Day”, “Moon River”,ギターソロでユーミンの初期の名作のひとつ“やさしさに包まれたなら”、そしてユーミンが愛した詩人ジャップ・プレヴェールの話から“枯れ葉”。家庭内スーパーライヴとなった。
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 音楽の捧げもの。それは簡単に力であるなんていえない何かである。ときにお返しできない何かで静かに満ちている。

 すべての音楽家に、良いお年を。
by waimo-dada | 2013-12-31 23:30 | アートな日々
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