N爺の藻岩山麓通信 |
ここは札幌東区のとある消化器系の病院。とりあえず東区本町病院と呼ぶ。
(いきさつ) 2013年8月22日(木)夜、札幌市文化芸術基本計画作成小委員会。次回は9月19日(木)と決める。 8月23日(金)ADO12:15で富山へ。予定では室堂〜劔澤小屋〜長次郎谷〜6峰Cフェイス〜八ツ峰上半〜劔岳〜劔澤小屋〜仙人池〜阿曾原温泉〜欅平。山中5泊6日の予定。ザックは22ℓ。 8月24日(土)室堂から劔澤小屋に入山。歓待を受ける。北大山岳部の先輩、富山県立山芦峅寺の故佐伯富男氏(愛称トンコ)とそのご子息高男氏、小屋の縁者の皆様に感謝。高男氏の紹介で雇った登攀ガイドの多賀谷治氏と合流するもわたしの膝の調子が悪く、登攀を断念。25日(日)快適な小屋に滞在。26日(月)、晴れわたる尾根筋を室堂にゆっくり下山。咲き残る夏の花のなかに秋の花が咲いていた。 8月27日(火)新日本海フェリー新潟10:30小樽行きに乗船。夕食の時これまでにない違和感。 8月28日(水)朝、北アルプス剱岳旅行から戻り、本町病院内科診察。 翌29日(木)朝の再検査で食道ガンと診断され、即入院。 手術はできないので9月2日から抗がん剤と放射線による治療に入る・・・。 入院に際してのわたしの3G宣言。「がんばらない がまんしないで ごきげんライフ」 能天気なわたしらしい、と自画自賛していた。 治療の副作用があることを事前に知りながら、苦しむわたしを想定しないようにしていた。 結果は3日で出た。東電や国が犯した大きな過ちと罪に少しも学んでいない自分がいた。まことにヒトはおろかな生物である。もちろん、わたしに限られる話でありますが。 治療を休んで1週間。今、気分はまずまず。ただ、37.2±0.2の微熱が続いて集中が続かない。おまけに入院早々にどうしたわけか、いきなりの視力ダウン。 家人に頼んで最初に持ち込んだ本、梅原猛『法然の哀しみ』はおろか、新聞を読むのもままならない。そんな不幸に突然見舞われたわたしではあるが、こんなこともあろうかと(ホントはこんなことになるなんて、まるで想定しないで)優秀な山ラジオを所有していた。ソニーICF-R100MTである。アンテナを兼ねるイヤホンの性能がまずいい。小さくて軽いのでお仕着せの寝間着のポケットにスポンと入るのもいい。 しかし、これはわが国の電機業界にとって悲しむべき事態である。トランジスターラジオで始まった戦後のソニーの歴史が、超LSIのポケットラジオで事実上の終焉を迎えたことを意味しているからだ。世界を画期するほどの新製品を産めなくなり、ソフト産業の上がりで食い忍ぶソニー。木のように朽ちる時期を迎えたか。 ラジオ様にすがる日々が始まった。 耳にしたのは、お前ら何をしとるんじゃーなラヴソングの実態だった。 陳腐な歌詞が続々と耳に飛び込んでくる。 ラジオの海はB,C級ソングであふれていた。 信じられないのは、創意・工夫・努力をあっけらかんと放棄した神経と業界の傾向である。 「売れ筋をちゃんとマーケティングしてつくってますよ」。作詞を担当する若者はそう答えるのであろうか。青春のときが、光が、陰が、あなたがいてどう、いなくてどう・・・と。言葉をとっかえひっかえ、ペルソナのようにくっ付けて恥じないシゴトが日常的になっている。どこから見ても同じ仮面を付けた不気味な多面立像が灰色の海に浮かんでいる。 そんなものは仕事とは言わない。プロフェッショナルという言葉から遠すぎてため息も出ない。 シンガーソングライターも時代背景は変わらない。やさしげなメロディーラインに薄っぺらな感傷を乗せているが、いまにも落ちそうで見ていられない。日記に書くのも恥ずかしくなるような言葉を無頓着に公共財である歌の歌詞に仕立てる不誠実さが跋扈している。 おじぃさんだってたまには聴くのだ。聴き手に失礼だろう。 なにしろ、とにかく不勉強。 いま評判の同世代の歌人の創った歌集くらい手にとって、声に出して詠んでびっくりしておくれ。 「いつも同じ連中とつるんでいるせいか歌詞が広がらないし、深くならないと思ってはいます」 もしそう考えているのなら、あなたひとりでいいから半歩、あなたの内なるムラを出るといい。 いま、ぼうだいな言葉のゴミの山を残す荒野をJポップ業界というのか。ジリ貧の業界は真に売れる商品、本質を伴うA級品を発掘する間の巨大なすき間をB,C級ソングで埋めようとする。新曲を持ち込まれるラジオ局もまた新鮮な音楽情報として取りあげたいものだから、いそいそと放送波に載せる。その結果がこうだ。おじぃさんはまったく同情しない。 こんなときはラヴソングの古典にあたろう。本質を伴うA級品の例などと言ったら創り手に失礼になるかもしれない、永遠のラヴソング。 荒井由美作詞作曲「あの日にかえりたい」(1975)。三連の短い歌詞。その第二連。 暮れかかる 都会の空を 思い出は さすらって行くの 光る風 草の波間を かけぬける わたしが見える 青春の うしろ姿を 人はみな 忘れてしまう あの頃の わたしに戻って あなたに会いたい 奥行きのある心象風景を静かにうたい、連のさいごで想いを表出する。間接話法で中景を描き、さいごの一筆で近景に直接話法で自分を描く。その自分もまた後ろ姿だ。ユーミンは多摩美の出身だったね。 普通の言葉を使って歌い上げた、切なくも美しい叙情歌、日本の歌である。 幾多の名曲を残した創り手のみなさんと伝えてくれたラジオ局に感謝しつつ。 注.添付する写真のビフォー(劔澤小屋の食堂で。映画「劔岳 点の記」の現地撮影を支えた多賀谷ガイドを雇っていた)は8月26日、アフターは入院してまもない同31日撮影
by waimo-dada
| 2013-09-14 20:39
| ラジオな日々
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