N爺の藻岩山麓通信 |
なるべく私的なことにふれないで生きてきた。
塩梅がよくないからである。 そう考える人は思ったより多くて、たとえば何十年も通う行きつけの酒場で病気自慢や孫自慢はだれもしない。当然、仕事や昔の自慢話などもしない。暗黙のルールを踏み外す人は自然に淘汰される。そんな人との会話は楽しくないからねえ。 しかし、好きなものについてすこしおしゃべりしてもいいかな、とすこし重たい病を得てから思うようになった。「あの人、そうだったんだあ」と知り合いに思い出してもらい、そこからどこかへ話がすすめば「楽しいっしょ!」(北海道弁風に)。逆があるかもしれないけれど。 と前ぶれをしてこれよりひとり遊びを。ま、無名・小才・遊び人なので四方八方に無害なのを当然至極として。 人生の残り時間をふと考えて遊んでみたが、さっとこれだと言えるものがあれば、意外に決めきらないものがあることに気づいた。 なお、「いい女」に関してははなから選択そのものを放棄した。それでいいのか・・・。とりあえずはいいとして「わたしの好きなもの」、まずは第一歩。 (1)好きな場所(1カ所) 小さな山小屋(・・・薪のはぜるストーブのまわりや焚き火) (2)なりたかった職業(ひとつ) 山小屋の番人 (3)いい男(5人) ドイツ文学者の池内紀(いけうちおさむ)さん(山の温泉が好きな野外派リベラル)/デザイナーの三宅一生さん/作家の佐々木譲さん/建築家の隈研吾(くまけんご)さん/劇作家・演出家・俳優の斎藤歩(あゆむ)さん (4)いい女(5人。選択放棄中) (5)好きな歌手(内外3人。曲名はおすすめ) 日本:松任谷由実(雪月花)/OKI(トバットゥミ:襲撃の意)/古謝(こじゃ)美佐子(ポメロイの山々) 外国:トニー・ベネット(ワルツ・フォー・デビー:ビル・エヴァンスとのデュオ)/ジョアン・ジルベルト(想いあふれて)/アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(あなたは忘れはしないでしょう:ブラームス「ジプシーの歌」第7曲) (6)好きな歌(内外各3曲) 日本:「あたいの夏休み」(中島みゆき)/「瞳を閉じて」(荒井由美)/「亜麻色の八月」(Hi-Fi SET) 外国:「カム・トゥゲザー」(ビートルズ)/「風に吹かれて」(ボブ・ディラン)/ドイツ学生歌 (7)戦後の歌姫(3人) 美空ひばりさん、ちあきなおみさん。3人目はだれか、中島みゆきさんか。うまい人、優れた歌手は何人もいるが。 (8)好きなクラシック(5曲・アルバム) モーツァルト「ロンド イ短調K511」(ヴィルヘルム・バックハウス 1955年モノラル録音)/武満徹「リタニー」(小川典子)/ハイドン「ピアノソナタ集」(アンドラーシュ・シフ)/シューベルト「冬の旅」(ハンス・ホッター&エリック・ヴェルバ)/ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第16番」(アルバン・ベルク四重奏団) (9)好きなジャズ(5アルバム) アーチー・シェップ「アッティカ ブルース」/ビル・エヴァンス「エクスプロレイションズ」/マイルス・デイヴィス「ポーギー&ベス」/アン・バートン「ヒーズ・ファニー・ザット・ウェイ」/エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストロング「エラ・アンド・ルイ」 (10)好きな映画(内外各5作) 日本:是枝裕和「歩いても 歩いても」(2008)/新藤兼人「午後の遺言状」(1995)/小津安二郎「東京物語」(1953)/ヤン・ヨンヒ「かぞくのくに」(2012)/内田吐夢「飢餓海峡」(1965) 外国:ウディ・アレン「ミッドナイト・イン・パリ」(2011)/ジャック・ドゥミ「ロシュフォールの恋人たち」(1967)/ジャン=リュック・ゴダール「気狂いピエロ」(1965)/ミヒャエル・ハネケ「愛、アムール」(2012)/マイケル・ラドフォード「イル・ポステーノ」(1994) (11)好きな食べ物(四季) *わたしの条件:素材・食材・食器は100%純国産。 春:菜の花(ナバナ)のおひたし 夏:縁台で食べる「ところてん」 秋:おはぎ *子どものころ母といっしょによくつくった。月見饅頭も。 冬:煮込みうどん (12)好きな宿(3施設) 洋々閣(唐津)/俵石閣(ひょうせきかく。箱根仙石原)/滝乃家(登別) *普段づかいの宿:海の別邸ふる川(白老市虎杖浜)/ロッジ・ヌタプカウシペ (東川町旭岳)/ヘルベチア・ヒュッテ(定山渓番外地) #
by waimo-dada
| 2014-01-27 23:45
| ライフスタイル
年初めのささやかな夢です。
「北海道うどん」をキックオフいたしましょう! 話題のBグルメ路線を追うのではなく、地に足つけて、それこそ麦のように、ね。 昨日、劇作家・演出家で俳優の斎藤歩さんとフェイスブックでこんな会話をしました。(ほぼ原文のまま) 斎藤歩 前橋の現場にはいる前に、関越自動車道のサービスエリアで、上州うどんを食べました。 とても美味しかったです。 伏島信治 前橋(赤城山麓の旧大胡町(おおごまち))出身のフセジマです。わたしは群馬の冬の郷土食「煮込みうどん(県北部では「お切り込みうどん」ともいう)」を北海道の滋味ゆたかな食材をたっぷり生かしたバージョンで発展させたいとずいぶん前から考えています。そのために「北海道うどん研究会」をキッフオフしたいのですが、もうその時間はないか・・・。前橋にいるなら原嶋屋(?)の焼きまんじゅうも喰ってください。農作業中のお休みに、子どものおやつにと大車輪だった香ばしい食べ物です。なにせ群馬は古くから2毛作の麦の県ですから。それと、残念ながら朔太郎記念館はありません。前橋文学館を訪ねてください。展示は充実しています。 斎藤 伏島さん、北海道の米を扱った「西線11条のアリア」、北海道の蕎麦粉を扱った「秋のソナチネ」、北海道の春ニシンを扱った「春の夜想曲」、北海道の豆を扱った「霜月小夜曲」、北海道の蟹を扱った「蟹と彼女と隣の日本人」など、北海道産食材演劇の次なる題材は「小麦」だと考えておりました。実際私は「うどん」をよく打ちます。函館のお祭りで函館の人たちが私のうどん屋台を用意してくれたこともありました。「秋のソナチネ」で蕎麦打ちをやった時も、実はうどんにしようか蕎麦にしようかかなり悩みました。 江別産の小麦をベースに北海道オリジナルの新しいうどんを展望する作品を考察中です。やることだらけで優先順位が後回しになり続けていますが、次の私の新作は間違いなく「道産小麦」の話になると思っています。今のところの課題は「出汁」です。 伏島 夏場はつけ麺、冬場は煮込みうどん、持ち帰りOK、というシンプルな路線があるかも。もちろん、食材等には産地表示をきちんとつけて、北海道が誇る麦文化を担う。 「北海道の麦」は磯田憲一さんや和田由美さんたちといっしょにつくった『北加伊道カルタ』でも取りあげています。 読み札は、「まっすぐに 伸びる麦穂も日本一」。 江別製粉のS間常務とは長い知り合いです。 #
by waimo-dada
| 2014-01-13 19:30
| 仕事の周辺
昨年から「札幌都心にコミュニティ本屋さんを」という構想を考えています。略して「さっぽろコミホン構想」。
まだ字面だけの構想ですが、温かい反応をあちこちから頂戴しています。 どうも同じようなことを考えている方が少なくないようですね。 で、のんびりとアイデアを温めていましたら(それはそれでとても楽しいのですが)、2013年の夏の終わりにステージ4の食道がん患者になりました。人生の予定にないことでした。あまりのんびりしていられないなあ、と近々構想をキックオフする考えです。 こうしてパソコンの前に座っているのは熱も痛みもなく、気分のよいときです。そんな小康状態のときに少しずつでも市民のみなさんとおいしい知恵の泉を汲み、可能性をたぐり寄せたい。 みなさんのお考えや賛同を得て、札幌の都心に小さくても濃い、たのしい智の灯りをともしたい。 「さっぽろコミホン構想」に寄せるわたしの思いととりあえずの考えはこのようです。 (1)元気な本屋さんのない街はさみしい。 街の本屋さんは花屋さんや食堂、喫茶店のようにわたしたちの普段の暮らしを彩るいつもの仲間。その仲間に元気がないのは本が売れないからだ。人が本屋さんで以前のように本を買わなくなったからだ。パソコンやスマホで注文すれば吹雪のときでも本が届く便利さ、電脳社会のなかで、わたしたちは何か大切なものを失おうとしている。それは本のことに限られない。 (2)街に知的で気楽な“拠りどころ”があるといい。 読みたくなる本や気になる本に出会う。そこで語り合い、薦め合い、学び合い、育て合う。ときに笑い、泣き、怒ることも。本屋さんで“寄り合い”をするのは悪くない話だと思う。大きな道産材の円卓や長テーブルがひとつあれば何かと役に立つ。2次会は近くの飲食店で。街に人が集まり、流れていく。街の元気は循環する。市民の拠りどころになる本屋さんがあるといい。 (3)さっぽろコミホンの主な役割はおそらく3つ。 ①テーマによる書籍の特集。②特集テーマによるトークカフェ。③図書館、書店、市民運動等との連携。 テーマは無数、連携は無限。 (4)使命はNPO。経営は株式会社。 市民の出資・アイデアとご近所の企業メセナ、自発的パートナー(執事やボランティア)の参画がこれまでにない書店をつくり、支える。見通しはきびしいが、若い力を軸に元気な年寄りを含む札幌の知的経営資源を結集すれば必ずできる。 (5)立地は北1条〜大通〜狸小路界隈。 開設の時期と場所は都心部の再開発、リニューアル、市電ループ化など都心部の動きをにらんで。予想されるお客は目的来店客が大半だから路面店でなくていい。ご近所の金融機関・財団・企業、商店等のメセナ参加に期待。固定費をどれだけ抑えられるか・・・。 資料:トーハンコンサルティング『書店経営の実態 平成25年版』(2013.8)、高橋しん『あの商店街の、本屋の、小さな奥さんのお話。』(白泉社、2013.12)、企業メセナ協議会『メセナnote』(季刊) 参考:留萌市や浦河町の本屋さん誘致活動/電子書籍に関するサイト例〉マイナビブックス〉編集部 当面の連絡先:伏島信治(ふせじまのぶはる)* PCアドレス:waimo-dada@nifty.com *群馬県前橋市出身(65歳)。北大大学院農学研究科修士課程修了。たくぎん総合研究所研究員、札幌国際大学教授を経て、伏島プランニングオフィス代表。日本文化経済学会会員。北海道地域創造アトリエ(例:シアターZOO)選定委員会委員長、HTB放送番組審議会委員長、北海道文化審議会委員、札幌文化芸術円卓会議委員長などを歴任。 #
by waimo-dada
| 2014-01-11 20:18
| 仕事の周辺
1960年代後期に大学に進学し、アルバイトしてレコードを買った。団塊世代にとって少なくない体験のひとつが今も記憶に残るのは、レコードが高かったからである。
再生装置も高かった。ソニーが若者向けに出したオーディオコンポのプレーヤーのカートリッジの規格は、MMでなければMCでもなく、安物のセラミックだった。チューナー兼アンプのボリュームをすこし上げればレコードプレーヤーのゴロゴロという音を拾ってくれた。プレーヤーもベルトドライブなんて高級なものでなく、モーター直結のゴム部品の回転をこすりつけるだけ。そんな3万円台の安物セットでも大学生協で月賦買いすると決めるには100日分の勇気とバイトが必要だった。 そのころ、金がないときに空腹をごまかす必需品が東洋水産の「マルちゃんダブルラーメン」35円也であった。これがあれば1日をすごすことができる。キャベツのヘタでも入ればぜいたくなもの。その35円がほしくて遠い古本屋まで歩いて、泣くような思いで本を売った。当時、外食では北大生協食堂のカレーライスまたはラーメンが60円。タクシー初乗り料金が90円の時代だった。 初めて買ったレコードはアルヒーフ原盤のJ・S・バッハ「ブランデンブルク協奏曲」、カール・ヒリター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏である。しっかりしたキャンバス製の箱に入った輸入盤LP2枚組。近くて遠い道のりだった。 それから同じリヒターによる「音楽の捧げもの」、パブロ・カザロスの「無伴奏チェロ組曲全集」など。 クラシックのLPレコードはわたしのささやかな宝物である。 JAZZを聴いても演歌を聴いてもJポップを聴いても、ひとり帰る先にクラシック音楽があるのは安心貯金だったような気がする。感傷や追憶とは無縁に時空のなかで立っているのだがすこしも冷たくない。バッハやハイドンの仕事には古典の古典たる美と巧みがある。 それは現代に引き継がれていて、たとえばキース・ジャレットのブレーメン、ローザンヌのソロコンサートを記録した3枚組のLPで知ることができる。強靭で美しいピアノタッチひとつに古典が光り、次の世代に受け継がれる。 秋のある日、わたしが病を得てコンサートに行けないことを知った札幌交響楽団のM澤さんが旧知のY田さんを伴って、公演の記録を携えて病院に見舞いに来てくださった。みんなが大好きなラドミル・エリシュカさん指揮のドボルジャーク「チェロ協奏曲」、チェロは首席奏者の石川祐支さん。わたしは東日本大震災後のチャリティーコンサートで石川さんの演奏を身近に聴いてすっかりファンになっていた。そしてブラームスの「交響曲第3番」。 宝物がまたふえた。 暮れにギターのジム・ホールが亡くなった。年明けにベースのロン・カーターとブルーノート東京で公演の予定が入っていた。ピアノのビル・エバンスと「アンダー・カレント」という美しい演奏とジャケットのLPを残した。合掌。 あたらしいJAZZピアニストを知った。「Nobody Goes Away」という4作目のCDのカバー写真はわたしの散歩・ジョギングコース、旭山公園の「チェーホフの小径」だ。札幌出身の外山安樹子(とやまあきこ)さんという。十分な実力を備えている。どんな仕事をしてゆくか楽しみだ。 暮れも押し迫って旧知のJAZZボーカリスト、木村篤子さんがギタリストの長沼タツルさんと拙宅においでになった。 “Night and Day”, “Moon River”,ギターソロでユーミンの初期の名作のひとつ“やさしさに包まれたなら”、そしてユーミンが愛した詩人ジャップ・プレヴェールの話から“枯れ葉”。家庭内スーパーライヴとなった。 音楽の捧げもの。それは簡単に力であるなんていえない何かである。ときにお返しできない何かで静かに満ちている。 すべての音楽家に、良いお年を。 #
by waimo-dada
| 2013-12-31 23:30
| アートな日々
よもや、まさか・・・の1年でありました。みんなの大好きなご気分投票の結果、お任せ民主主義が一気にはびこり、この国の「普通」や「常態」が確実に劣化しました。
為政者によるこの1年の仕上げは一民間宗教法人である靖国神社への参拝でしたか。 天皇がなぜ靖国を参拝できないでいるか。A級戦犯合祀の経過と背景にすこしでも目をやればわかる話です。そんな男に宮中で種々内奏される陛下のお気持ちはいかに。国の象徴だから、だからこそ、押し寄せる政治の波を拒否することはできません。ただ一方的に奏上されるだけ。奏上した側はお聞届きいただいたと勝手に考えて喜ぶ。お痛ましいかぎりです。 国営アーリントン墓地といっしょにするなというアメリカ合衆国の声もしっかり聞こえたはずなのに「日米同盟強化」としらじらと言ってとうとう参拝。国家戦略とは明文化された書類だけがすべてでないことを知っているはずなのに。 自衛、自立。そして誇り高い孤立・・・。精神はわたしたちの財布から予算を処置することで形にすることができます。批判が届かない物質世界と精神を動員される時代が再びやってこようとはだれも考えていなかったのに。 もし、孤立と高揚がお友だちであることをよく理解している為政者の高級参謀がいるなら、かれらは次の一手をどんどん繰り出してくるでしょう。自発的な志願へと誘う巧妙な段取りの志願兵制度の設計など、優秀な官僚にはたまらない魅力的業務がこの先の街角で待っているのでしょうか。 きっと、楽しいでしょうね。国民の感情をうまく案配できそうだと確信できたときには。 民間もまた、世界的企業となったグーグル社が軍事ロボット開発会社を買収する時代が到来したことを見習って、新たな産学官軍のビジネスモデルの設計に投資の目を向けるでしょう。3大銀行グループの熱い支援を受けながら。 文芸の世界にも時代の反映が。 百田尚樹のミリオンヒット『永遠の0』と映画は必見なのでしょうね。わたしの周辺からも「右傾気分高揚エンターテイメント」らしき賞賛の声が聞こえます。巧妙な筋立てと立派なニッポン人像に心惹かれ、染まっていくのでしょうか。百田氏はたしか「2012年安倍晋三総理大臣を求める民間有志の会」の発起人のひとりであり、2013年11月にNHK経営委員会委員に就任。今年は彼にとって勝利の年になりました。 さて、同じ零戦つながりながらまったく別の世界があることに目を向けたいと思います。 堀辰雄です。 岩波書店の隔月刊『文学』2013年9・10月号の特集は堀辰雄でした。幸い岩波書店のサイトにその一部、敬愛する池内紀さんの「強靭な人」がまだアップされています。 http://www.iwanami.co.jp/bungaku/ 吉本隆明の『「食」を語る』(2005、朝日新聞社)にも堀辰雄の強靭さにふれた箇所があったと記憶にあるのですが、手元にありません。古書に出してしまったかしら。 政治経済に直面する批評世界での強靭な精神となれば石橋湛山の“比類のない自由主義”でしょう。 わたしは2014年の読書界に石橋湛山の著作が復活すると見ています。できればテレビなど大手メディアで石橋湛山が取りあげられるようになってほしいのですが、“小日本主義”など見向きもされないかもしれません。 そのテレビ業界に対して、昭和の生き残りにして一大年寄りというべき野坂昭如さんが元気に繰り言を述べていらっしゃいます。以下、毎日新聞に連載中のエッセイ『七転び八起き』(「どこでけじめつけるのか」2013.12.17)より抜粋。 ぼくは民放育ちである。 (中略)テレビの芸の本質はマンネリである。タレント芸人、うまくマンネリ化すれば長持ちする。かつてのそのマンネリに芸があった。 (中略)今のマンネリには先がない。キラリと光る過激な発言者も、言動、風貌のけったいな存在も、今は育ちにくい。CMもつまらなくなった。CMはテレビという虚構の中で、ふと現実に立ち戻る。手品のような作用がある。今は視聴者に媚びたものばかり。番組のつくり方も、スポンサーの意向に左右された色が濃い。(略)お笑い、歌番組、グルメ、大食いが目立つ。本物の歌手が去り、歌詞もまた、言葉が蝕まれている。女の子の集団が歌い踊りまくる音楽も結構だが、心に長く残る曲がない。使い捨ての歌ばかり。 テレビは日本の娯楽、文化を表すといわれてきたが、今はゴミ箱と化した。 年寄りは野坂さんのようにもっと繰り言を言うべしとフセジマは思います。そして反論があれば、繰り言になってもいいから発言したらいいと考えます。しつこく、しぶとく生きて世間に関わることで自分の居場所と他者との関係を確保できる、とおのれの経験から確信しているからです。 そのテレビ業界での今年の収穫は、わたし個人の趣味もたぶんに反映しますが、今年になって世界的な評価を呼び戻した小津安二郎の特集でした。 それがNHKBSプレミアム「小津安二郎・没後50年 隠された視線」(2013.12.12放映)。よく知られたローアングルの技法にとどまらず、大胆な省略、綿密な絵コンテ、「赤」への愛着と日曜雑貨としての取り入れ、蓼科でのシナリオづくり、出演した女優の熱い証言(たとえば岡田茉莉子の「(撮影所での)100もの視線が役者をつくっていった」)など、テレビの前で久しぶりに釘付けになりました。 年越しの本を何にするか思案中の方にお薦めは、佐々木譲さんの新作『獅子の城塞』(新潮社)。読みはじめてこれはいいかもと思うのは福島亮大『復興文化論〜日本的創造の系譜』。今年出会った本でありがたかったのは、寺山修司『戦後詩〜ユリシーズの不在』の復刊でした(講談社文芸文庫)。 お得な情報では、札幌の場合ですが、林望『謹訳源氏物語』(全10巻 。2010.3〜2013.6刊行。祥伝社)が図書館でほとんど待たずに借りられるようになりました。地の文がよくわかるすばらしい訳と開きやすい装丁です。 一見すると地味ですが典雅な歌集は堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』(港の人)。手に取ると、1頁1首という紙の使い方が贅沢でなく当たり前のことに思えます。これもお正月にどうぞ。 「空中にわずかとどまる海鳥のこころあなたと雪を分け合う」(堂園昌彦) #
by waimo-dada
| 2013-12-26 22:25
| アートな日々
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