N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

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体育会が文化を支える?

 静かな土曜日。
 山から帰って今週は次期「札幌市文化芸術基本計画」の議論に灰色の脳細胞を集中させた。
 本委員会でのわたしの提案から基本となる考え方をぐぐいと切り替えて、検討起草小委員会があらたに発足した。北海道大学佐々木亨、北海道教育大学閔鎭京、映画監督早川渉という若い衆とわたしフセジマの4人でやさしくない課題に取り組む。いっときの幻想にすぎないが脳細胞が淡いピンク色になっていたかも。

 いつも思うことだけど文化は足元からはじまる。歩いてみなければ出会えない、わからない。つまり文化系の下には体育会系がなければならない。(結論を急いではいけないが「スポーツが文化を支える」と言えなくもない。ファイターズ、コンサ、勝ってくれー! こら谷元、外に逃げるな 胸元をえぐれ!)

 で、今週もあちこち歩いたがなによりの収穫は市民ギャラリーで開催中の「第46回さっぽろくろゆり会展」。ほとんどが具象だが風景画にも静物画にも名品あり。小樽の海、北大植物園、北大第2農場など。いいですねえ。
 北大出身者のグループゆえか対象への対し方、呼吸に共通する何かがある。愛し方といってもいい。それがある種の品につながるのだろうか。
 身びいきだが旧知のKさんの風景画4点に静かな冴えを感じた。
 思わず「ください。1点でいいから、ね」
 「そのうちに・・・」

 展示は終わったが写真家上田義彦と弟子の妻夫木聡の二人展(札幌キャノンギャラリー)で、越前和紙に出力した妻夫木の作品に出会った。世間を瞠目させることはないだろうがわたしは注目したい。うまいだけの素人とは眼がちがう。

 若松孝二監督の遺作となった映画「千年の愉楽」。原作は中上健次。たまたま和歌山県出身の作家辻原登さんの『冬の旅』を読み終えてまもなく、仏教的カタルシスを感じていたものだから、重なった。
 重なりはまだ続く。6月14日(金)17:30よりグランドパーク小樽で伊藤整文学賞の授賞式がある。「冬の旅」で受賞した辻原さんのスピーチがいまから楽しみだ。
 しかし、あー、日本でいちばん楽しい文学賞の集いも今年と来年でおしまい。なんということか。おれはいやだ。おれが金持ちだったら・・・。

 重なるときは重なるもの。前日にラジオから第8番の交響曲が流れたブルックナーの第7番を札響で聴いた。学生時代にラジオから流れる第7番をソニーのオープンリールテープレコーダー6260に録音してからその楽曲は脳にしみ込んでいる。それをキタラのホールで聴く。指揮は尾高忠明さん。足を運んだ者だけが立ち会える愉楽、悦楽のとき。席はいちばん安いC席(3,000円。道新のプレイガイドでぶんぶんクラブのカードを提示すれば2,700円)で十分だ。ブルックナーの曲ではキタラのホールの気体がそのまま響くから。わたしたちの体がホールの響きの構成員になるから。
 わたしは来月、上京のついでながら尾高さんが芸術監督を務める新国立劇場の創作オペラ「夜叉ケ池」に会いに行く。チケットはおさえた。

 釧路の劇団北芸の解散公演の最期の舞台がシアターZOOで!
 予定はあるがそんなものは捨てて、中島公園のへりのシアターZOOまで、体育会の足で歩いていこう!
by waimo-dada | 2013-05-18 15:10 | アートな日々

山から帰ってきたスプーン

 山から帰って道具を片付けていたら愛用の先割れスプーンがないことに気づいた。
 灰色の脳細胞を叱咤激励して記憶の底をのぞくと、白銀荘での朝食のあと、仲間が食器を洗う風景がとなりに現れた。そのときわたしは大鍋を洗っていた。
 わたしたちが定宿とする十勝岳連峰中腹の白銀荘は公営の自炊道具が完備した(箸だけは持参ということになっている)、すこぶる快適なスキーロッジ兼温泉保養施設である。食事は提供されないので泊まり客は思い思いに料理を楽しんで、きちんと片付けをして帰る。もちろん、わたしたちもそうした。勘案するに、わたしのsnow peakブランドのチタン製先割れスプーンは仲間の手で洗われてしかるべき箇所、すなわちスプーンの引き出しに仕舞われた。

 子細を断定して白銀荘にお願いのFAXをした。
 こういう場合は電話でもなくメールでもなく、手紙でもなく、FAXがいい。FAXにはそれなりの出番というものがある。アナログの固まりである人間にとって、もっとも実用な受信手段なのである。受信機がなって届く。すぐ読むことができ、メモしたりコピーしたりする手間もかからない。
 その2日後、白い紙にくるまれてスプーンが帰ってきた。
 スプーンをくるむ人の手が見えるようであった。ありがたいことである。

 同じようなことが数年前の八ヶ岳であった。
 温泉に入り、うまいソバをいただいた稲子湯から小海の駅まで町営のバスに乗った。あとでわかったのだが、そのバスにsnow peakの折り畳み傘を忘れた(注.snow peakブランドの山道具はおおむねそういう運命にある)。
 このときはどこで忘れたかアタリをつける電話から始めた。店もバスの事務所もJRの駅もきちんと対応してくれた。傘は返ってきた。

 この国に生まれてよかった思うときがある。きちんと働く人々がいる国だと思うことがある。
 しかし、そのことをよその人に言ってはならない。自慢そうに言ってはならない。
 暮すとはそういうものである。人生のどこに、ありがたいと感謝してそれぞれが暮らす町に帰る以上のことがあるだろうか。こんなささやかな喜びがどれだけ生きる力となることか。思えば、涙腺がゆるむ。
 岳父の形見の生真面目な万年筆でみじかい礼状を書いた。送料分の切手を添えて。
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by waimo-dada | 2013-05-03 12:46 | 山と旅