N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

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映画を追い、本に追われて名残り雪

 映画と本。共通するのは困ったさん。

 映画は忙しくて困る。そのうちに見に行こうなんて考えが通用しないくらいは長く生きてきたから、手帳に“見に行くぞ”マークをつける。それでもあっという間に「上映は◯◯日まで」となる。まずそうなる。
 「ゼロ・ダーク・サーティ」も「横道世之介」も「愛、アムール」も、ぎりぎりセーフのみなさまと満席のご同席でした。でも行ったかいがありましたね。

 「ゼロ・・・」はよくできたハリウッド映画ゆえに要注意。『本』(講談社)連載、高木徹(NHKディレクター)「国際メディア情報戦」の4月号「物語としてのビンラディン殺害」を読むと背景や事情がよくわかる。それもまたおもしろいだけに気がめいる。アメリカとハリウッド映画の前でわたしたちは相変わらず(ダグラス・マッカーサー将軍のいう)“少年”のままでいるのか。

 「横道・・・」は切なさという時間と人生の調味料をじょうずに使ってたのしい映画に仕上がった。で、わたしは「祥子ちゃん」(吉高由里子)のファンになった! 2012年の映画各賞で上位に入った「桐島、部活やめるってよ」の非連続的青春映画であり、この2作を通して甘酸っぱい青春とほとんど無縁ですごしたことをあらためて思い知らされた前期老人の多くは、実人生では味わえなかった青春を疑似体験できるよう取り計らってくれた若き映画人諸兄に感謝するほかありません、でした。

 いっぽう、「愛・・・」は苦しい。ハリウッドは世界規模でずるいから、絶対つくらない、つくれないこの種の映画にアカデミー賞外国語賞をさずけて、遠ざける。「おれたち、見る目はあるんだけどね」とうそぶきながら。
 それはさておき、なぜわたしはこんな苦しい映画をしまいまで見てしまったのだろう。
 それもまた映画人の力というほかない。
 なかでも気になったのは、すさまじい老醜の演技をみせる妻アンヌ役の女優さん。どこかで見たことがある。どこでだろう・・・。
 その人は「ヒロシマ、モナムール(わが愛)」でヒロインを演じたエマニュエル・リヴァだった。あの美しい女優さん・・・。

 たしか、その映画の原作は『モデラート・カンタービレ』を書いたマルグリット・デュラスによるものでなかったか。

 『モデラート・・・』は、本を捨てて今の手狭な住まいに引っ越したわたしが、自身に「それを捨てちゃなんねえ」と懸命に抗弁して残した、青春期に出会った本の一冊である。
 デュラスが描く世界は大きく動かない。しかし、能の舞台のように登場人物の一見噛みあわない対話があり、能の展開ほどではないが破局に向かって動く序破急のリズムがあるのが魅力だ。

 「愛・・・」もまた、夢幻能に似た手法でわたしたちを物語に乗せてどこかに運ぶ。そのときわたしは、恋愛小説の名手、高樹のぶ子さんの傑作『飛水』(ひすい。同じ作者の『トモスイ』『マルセル』をしのぐ、とわたしは買う)を思い、愛し合う人たちが死してなお伴にあろうとする思いの強さに、のどがつまった。
 もしもマルグリット・デュラスと高樹のぶ子の対談が実現していたら、それはそれは、命を懸けた夢幻能の世界となっていたでしょうね。いわば、どこか遠くに飛んでいきましょう合戦。

 さて、本は映画とちがって急がない。まして、図書館で借りて読めば家人の冷たい視線を浴びなくてすむ。世界と家になんの問題も生じない。
 しかし、本の多くは非常識だから世界の向こうから突然やってくる。常識の世界に生きるわたしたち一般人は、そんな超越的存在に抗する知力も気力も持たないので受け入れざるをえない。
そして今日もやってきた。

 『山本容子のアーティスト図鑑 100と19のポートレイト』(文芸春秋)は、佐々木譲さんの『図書館の子』(絵:蒲原みどりさん)と同様、買って手元に置く本。
 『魯迅の言葉』(平凡社)は先日、「世界で最も美しい本」コンクールで銀賞に輝いたと知って急きょ発注し、入手した。
 数年前に上海市の魯迅記念館を訪ねたとき、中国の人々のなかに魯迅さんが今も生きていることを肌で知ったと思う。しかし、それは魯迅公園で遊興のときをすごす大多数の中国人と魯迅さんの関係にそのままつながるものではない、とも考えた。

 ま、むずかしいことは、中央図書館から借りてきた「山ねこ」に喰わせて。
 JRタワー10周年記念「宮沢賢治」展の収穫は、賢治さんにほれて絵本の絵を描こうとした人がこんなにいたんだ、という発見でした。
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by waimo-dada | 2013-03-29 22:07 | アートな日々

春の気配がします。シマツにしてますか

 チッキひとつで北海道にやってきてまもなく45年になります。
 少しがんばって家ふたつ、墓ふたつ持つプチブルになりましたが、いくらか思うところがあって家や墓地を整理して、15年前にいまの中古低層集合住宅に移り住みました。サイズ的には91㎡÷125㎡=0.728に減少、経済成長の尺度でいえば−27.2%もの下落。
 これにともない事務所兼書斎のサイズは7.64㎡に。いくらはかっても4.6畳で、6畳にはなりません。
 泣く泣く本を処分し、着ないものを生協主催の海外寄付に委ねました。
 もともと母親譲りの始末屋でしたから小さく暮すのは得意ですが、本にはいまも苦しんでいます。

 足と知恵を使って問題の解決に挑みます。探し求めたすき間用家具の本棚は、いつの間にか家人が暮らす居間の一部を侵略しています。広辞苑のとなりは地図帳などを横にして突っ込んでいるため落ちやすいので、無印良品で買ったアクリルの仕切り版で支えています。
 ぬいぐるみの山羊のユキちゃんが占領しているのは集英社の国語辞典。この辞典は漢字辞典を兼ねるすぐれものです。
 なぜユキちゃんががんばっているかといえば、家人の再侵入を防ぐ思いがあるからです。狭い家でどれだけ自分の空間を確保することができるかどうかは、ぬいぐるみさんも再動員する必死さ、懸命さによるのです。

 着るものは買わないのが一番ですね。
 ゆえに、買ったらずーっと着る。穴が開いても着る。
 お気に入りのイッセイミヤケのロングコートは立てた襟を簡単にとめられるボタンが付いているので吹雪にも強くて、かれこれ20年近く着ています。いたんだ裏地は生地を替え、すり切れた袖は短くし、毛玉をとれば着られます。コートに添えたアクアスキュータムのマフラーはロンドンで買ってからそろそろ30年になります。
 で、穴の開いた靴下も、かがんでもらえば立派に使えます。うれしそうにはいて出かけるのを家人はいやがりますが。

 そうはいってもねえ、この豊かな時代。向田邦子さんのエッセイ集『無名仮名人名簿』に登場する、広告の紙で「洟をかむ」戦前のお母さんにはかないません。
 向田さんは「母は、というより当時の日本の女は、もしかしたら、みなあのように節約(しまつ)だったのかも知れない。(後略)」と書いています。

 ともあれシマツに暮して、それを理由に遊ぶ。山の道具を新調する。旅に出る。
 そんな春が近づいています。フフフ・・・。
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by waimo-dada | 2013-03-16 01:25 | ライフスタイル