N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

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時代はキャンプ場に運命をもたらす

 こんなタイトル、詩人堀川正美(*)の旧いファンからおしかりを受けそうだが、キャンプ場にだって運命はやってくる。向こうからこちらから。それも、のどかなかたちで。

 8月の終わりに40年来の旧い仲間と日高の山を歩いた。男10名。平均年齢は60代なかば、遠くは兵庫、山口から。人生の残された時間に少し敏感になった連中のささやかな冒険と大学山岳部同窓会の旅。
 この山旅は街で過労死したふたりの男を追悼することを目的に、前半を北日高、後半を大雪山系のトムラウシ山に当てて計画された。それぞれ過去に、山の頂き近くに散骨している。その地を再訪する旅でもある。沢を歩きカールに泊まる山旅の前半に参加したわたしにとって、キャンプ場の一夜は懸命に歩いたことに祝杯をあげる打ち上げのパーティーに等しく、明日のことを考えずにぼーっとしていられるぜいたくな時間となった。
 後半の日程に参加する3名が札幌からやってきてジンギスカンパーティーが始まった。

  「日高沙流川(さるがわ)オートキャンプ場」という。日高山脈の西側に当たる日高地方はサラブレットが駆け抜ける牧場の景観が有名だが、このキャンプ場がある一帯は山が近くに迫っていて開放感にやや乏しい。ところが近づくに連れて印象が変わった。ゆったりとしたつくりに皆が感心した。
 あまり期待していなかったところがすてきであったとき、いい時間になるね、と期待を新たにする。8月下旬の週末という、夏休みはこれで終わりだからしっかり準備して遊びにきた、といわんばかりの家族客が、ゆったりといい顔をしてすごしている。それだけでもこのキャンプ場が成功していることがわかる。広い芝生のテントサイトと計画的に残された自然林。バンガローも密に配置されていない。グループのざわめきが互いに気にならない。キャンプ場特有のストレスがないキャンプ場である。サワグルミの木がまっすぐに伸びて、夏が居残る空に枝を広げていた。
 
 しかし、こののどかさは企てだけでは成立しない。人の時間の流れが一方にあるだろう。
 平和で、相対的に裕福で、心配がない。そんな社会的かつ個人的な好条件がそろえば時間はゆったりと流れるようになる。まして、ここには3・11はない。条件に恵まれた人々が今このキャンプ場にいる。見える範囲の人々はお子さんのいる家族とその仲間。つまり、わたしたちの子と孫の世代。キャンプライフに慣れ親しんでいる。日常のひとつにしている。
 かれらがわたしたち団塊の世代と決定的にちがうのは、このようにキャンプライフがなにも特別なものでなく普通になったことだ。が、このことを理解してもらうのはけっこう大変だ。キャンプ用品がよくなったとか、荷物をいっぱい積める4輪駆動のマイカーを買えるようになったとかいってもわかってもらえない。時代が成熟してきた。そう思い、話すほかない。

 そしてわたしたちといえば、新鮮だが苦しみ多い日々に会うことは、もうない。悲劇がとつぜん向こうからやってこないかぎりは。
 夜おそく、自分を使い果たそうなどとけっして思わなかった青春のときからさらに遠く、ペットボトルに残ったウイスキーをなめながら、若い人たちの幸せな時間を見ていた。

   *堀川正美「新鮮で苦しみおおい日々」
 
   時代は感受性に運命をもたらす。
   むきだしの純粋さがふたつに裂けてゆくとき
   腕のながさよりもとおくから運命は
   芯を一撃して決意をうながす。けれども
   じぶんをつかいはたせるとき何がのこるだろう。
   (後略)                 
         詩集〈太平洋〉所収、出典:現代詩文庫29『堀川正美詩集』(思潮社)
by waimo-dada | 2012-09-11 10:48 | 山と旅