N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

桜木紫乃さんの釧路と東京

 2013年上半期の直木賞を受賞してブレークした桜木紫乃さんのお話がおもしろい。
 たいそうな評判をとった9月5日の道新ホールでの講演は聴き逃したが、11月16日の毎日新聞「特集ワイド〜近藤勝重の世相を見る 作家桜木紫乃さん」はいまのところ新聞社のサイトに掲載されていて、全文を読むことができる。
 http://mainichi.jp/feature/wide/

 このなかで紫乃さんはふるさと釧路の街灯が「ただ照らし続けている」シャッター通りについて、「美しいと思うのは、私が昔の風景を実際に見ているからです。ふるさとは記憶の降り積もった場所。自分の記憶のふたをあける場所でしょうか。」と話す。
 そんな土地から見た東京の街はどうかと訊かれて。
 「人より走るのが速いとか、頭がいいとか、人より優れたものを持っていないと出て行けない場所。闘う武器が何か一ついる場所。疲れますね。」
 「何でも手に入る。(中略)でも、望んだようには働けない。同じような気持ちで地方から出てきている人、いっぱいいるんだろうな」

 のどがつまるような話だった。
 時代は何を変え、何を変えないでいるのか。
 人には歩くことでしか自分を立てられない夜がある。
 今夜も外灯がひとつ、彼、彼女の背中をぼんやりと照らしている。
 釧路で、東京で、札幌で。

 釧路でも東京でもない札幌に生きるってどんなことなんだろうと考えた。
 まあ合の子のようなところです、というわけにはいかない。きっと、人の数だけ答がある。
 わたしがいま自分について言えること。それは北海道の札幌に生きた、ということ。
 家族と暮らす街、札幌。足を広げて働き、遊んだ土地、北海道。
 武器はいらなかったが、何かひそかなものをひとつくらい持っていたかもしれない。
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by waimo-dada | 2013-11-19 10:47 | アートな日々
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