N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

音楽の陽だまり

 2013年夏から秋へ。
 街を歩けば、くすんだ舗道の上に平和で幸福な日々と明日の保証もない不幸せな日々が交じりあって石のように転がっている。
 この国にはいつのまにか能天気に文化を享受できない灰色の路が広がっていた。平和で幸福な気分にひたるために欠かせない若い人たちの希望が、雨に濡れそぼつ花火のように光と未来を喪っていたからだ。
 まっとうな職を得られない、結婚できない、家族を養えない・・・。

 せんじつめればこうなるもとは、稼ぎの多寡にある。
 まことに不遜、怠慢、不誠実な仕事ぶりながら、国税庁がようやく給与所得者を「正規」と「非正規」に分類して2012年の平均給与をはじいた(毎日新聞2013.9.28)。
 民間企業約2万社の給与から推計したという数字は、正規467万円、非正規168万円。非正労働者の稼ぎは200万円に満たない。で、厚生労働白書2012年版によれば、労働者全体に占めるこの非正規雇用の割合は、2000年の26%から2011年には35%に増加している。
 年齢階層別のデータが手元にないのでこれが若い非正規雇用層の実態だとはいえないが、若い世代の貧困に関する新聞やテレビの報道、NPOの会報などで見聞した多くの事例を思い浮かべると、年間200万円の壁の前で立ちすくむ人々、手取り月収10数万円の暮らしぶりに目を閉じるわけにはいかなくなる。

 そんな若い世代をつくった結果責任を負う人々、わたしたち団塊の世代をはじめ年金がそれなりにあたる人生後期の安全地帯に入った人々に、いったい真に平和で幸福な日々は来るのか。思えば気が重くなる話である。
 しかし、気が重くなるのはけっして悪いことではあるまい。むしろまっとうな心持ちではないだろうか。もしかしたら、ある日、何かのバネになるかもしれない。血管の浮き出た老いた腕がムシロ旗を掲げる勇気を養うかもしれない。
 (ふと妄想が頭のなかを走る。いつか都心の大きな通りでフランスデモをやってみたい。そう、手をつないで、道路いっぱいに広がって行進するデモ。あれは楽しい! 先頭がすぐに逮捕されるドジなデモだけど・・・)
 そんな妄想の小石を胸にそっとしまい、陽だまりを探して歩いてみた。

 夏から秋、列島の各地で無数の音楽イベントが開催された。わたしたちはそのごく一部しか享受できないが、メディアの発達した今日はラジオや新聞だけでなくインターネットを通じて直接間接に音楽を楽しんだり、音楽シーンに想いを寄せたりすることができる。
 そのなかには意外な事実や新鮮な発見を伴うものが少なくなかった。音楽を聴くとはどういうことか、わたしたちはある固定された様式を音楽鑑賞だと信じていないか、改めて考えさせられることもあった。以下、手帳の走り書きと日々高速度で消えてゆく記憶の断片、いただいたメールなどから。

〈6/26 新国立劇場中劇場 創作オペラ「夜叉ケ池」〉
 新千歳から成田へ。初めてのLCCジェットスターは往復1万円弱。佐倉の川村記念美術館に寄る。たいそうなお金をかけた庭園美術館だ。レストランからの眺めもよいが雨の日の平日なのにランチにありつくまで1時間半も待たせるお粗末なオペレーション。周囲にはなにもない。コンビニもない。晴れた休日はどうなるんだろう。いくらなんでもランチボックスくらいは用意するんでしょうね。
 ホスピタリティ欠乏症の美術館で不用意な時間をとられ、東京都心の夕食は東京駅のエキナカベンチとなった。サンドウィッチをかじって初台に急ぐ。新国立劇場の創作オペラはどうしてもこの身で体験しなければならない。 

 新国立劇場のオペラ部門の芸術監督は、札幌交響楽団音楽監督の尾高忠明さん。
 札幌ではオペラも上演できる大型劇場が中央区北1西1に5年後の2018年度にオープンする。名前はまだない。市民交流複合施設という殺風景な名称で市街地再開発計画が進んでいる。その再開発ビルの中に2,300人収容の大きな公立劇場ができる。当然、貸し館だけでなくオペラもミュージカルも創り出していく、にちがいない。というのはわたしの思い込みだけで、じつは創造的な思想、構想は今のところまったく見えない。わかるのは、頭脳を持たない巨大な体躯のシアターの建設が進んでいるということだけだ。

 そんなことはないだろう、と考えたい。
 もしオペラを創るというなら、まず必要な創り手を組織し、運営体勢を確立しなければならない。オペラは、歌舞伎や映画もそうだが総合芸術であるだけに多くの多彩な才能を求める。しかし、脚本、音楽、舞台美術、衣装などパーツのすべてを単独で内製化して制作販売しなければならないというものでもない。各地の有力劇場と提携してノウハウを蓄積し、合同制作、巡回公演という仕組みに参入することも十二分に考えられる。そもそもこの劇場はどんな目的で、だれのために、いかに運営されるべきか。考え抜かれた計画的な戦略と多くの人の多様な時間を必要とする。
 市制百数十年記念の市民オペラまたはミュージカルをやってみんなで盛り上がりました、めでたし、めでたし、というような話ではない。
 だから新国立劇場との連携はとても重要な意味を持つはずだ。しかし・・・。

 休憩時間に尾高さんご夫妻のお姿が見えた。ご挨拶して札幌の計画についてたずねた。尾高さんのお答えは「そんな話、知りません」だった。
 話の接ぎ穂を失ったわたしは、「札幌に戻りましたら、しかるべき方にお伝えします」としか言えなかった。
 後日、札幌で尾高さんに近い方に伺うと、「計画の説明を受けたことはある」とのことだった。おそらく、説明する側は尾高さんがどんな方かさえ十分に知っていない。もったいないではすまされない。公立劇場を「計画」する話になっていないのだ。再開発ビルのある部分をハード面から建設、整備するだけの話にとどまっている。そのハードも、どうやら窮屈そうなお話であった。
 行政内部の管轄も複雑で、公立劇場の担当は文化部でなくまちづくり担当部局だ。劇場づくりの指揮、戦略戦術は、だれの目にも見えていない。

 新国立劇場創作委嘱作品・世界初演、泉鏡花原作、香月修作曲の「夜叉ヶ池」はすばらしかった。
 この純国産オペラの制作を主導したのはほかならぬ尾高忠明さんである。
 札幌が頂戴している尾高さんとのご縁をどう生かしていくか。
 課題はもちろんそれだけではないけれど、市民のみなさん、敗者復活戦をあきらめるわけにはまだ早い、とわたしは思う。

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〈7/5 札響夏の特別演奏会“ザ・プリンシパルズ”〉
 指揮は尾高忠明さん。オーボエ独奏者がカデンツァをホールいっぱいに響かせはじめた。おもしろい。彼女がつくったカデンツァだろうか。わたしはこの独創的なコンサートが成功したと思った。企画、マーケティング、演奏の三点が揃った。なにより、若い主席奏者が楽器といっしょになってキタラの大ホールに響いているのがうれしい。おしまいはラヴェルの「ボレロ」大合奏。晴れやかで瑞々しいコンサートになった。
 彼らもわたしたち聴く者もうれしかったザ・プリンシパルズ。ぜひ、シリーズで・・・。われらが札響のコンサートに若い市民がもっともっと聴きに来るように。そう、今日はキタラに若い人が目についた。ブラバンや学生オケの子が多いのだろうか。

〈7/24 ノルウエー・サーミとアイヌの交流コンサート〉
 お目当てはOKI&MAREWREW(オキ&マレウレウ)。会場の大通2丁目サッポロミュージックテントに早く出向いていい席を確保した。何組も登場してトリがOKIさんたち。しなやかで強く美しいOKIさんたちの表現、その確固たる様式は、すでに世界に通じている。この先どこに向かうか、注目したい。

〈9/8 北海道ツアー二人会 島袋優(ビギン)×大島保克 琉球処ちゅらうたや〉
 チケットを買ってあったが8月末に入院して行けなくなった。2007年にピアノのジェフリー・キーザーと共演したCDを聴いて好きになった大島さんの唄を生で聴きたかった。そこで家人Aと家人Bに飲食店内かぶり付き鑑賞を代行してもらった。家人A、Bは本の捜索隊員を命じられたり、沖縄音楽鑑賞代理人に指名されたりと、なにかと忙しい。
 その家人Aのメールから。
 「大島さんの声がきれいだった。若いのか年寄りなのか分からない魅力がありました(実年齢は40半ば)。やんちゃな子ども(島袋)を優しく見守るお母さん(大島)って感じ、二人は同級生なのに。(あくまで個人の感想です)
 トークも面白かったよ。常連さんノリノリ。
 母さんはポップ系より島唄っぽい方が好みだったって。確かに、島唄っぽい曲は西表に行った時の風を感じた。特に牛車で離島に行った時の感じ。
 島唄にも地域差とか色々あるらしいけど、そこまでは分からなかった」

 家人A、Bといっしょに沖縄に行ったのはいつのことだろう。講演のついでに那覇に2泊、西表に3泊した。
 石垣島に戻る西表島のフェリー乗り場兼バス乗り場でバスの運転手が三線をのんびりと練習していた。
 「これくらいできるようにならないとね」と彼は言うのだが、さて、いつになったらうまくなるんだろうという感じ。あれも島時間というのでしょうか。わたしは好きです。

〈9/10NHKFMクラシックカフェ〉
 早朝、病院のベッドでアンドラーシュ・シフのピアノでバッハ「パルティータ第1番変ロ長調」(BWV825)を聴く。
 なんだ、この革新的演奏は。グレン・グールドのバッハだけが革新的ではなかった。シフが弾くハイドンのピアノソナタは好きでCDもあるが、バッハをこんなふうに弾くとは知らなかった。熱心な音楽ファンでない、何十年も遅れて遊んでいるわたしには驚くことが毎日のようにある。高価なレコードを買えなくてひたすら頼りにしていた学生時代からのFMラジオ放送に今日も感謝。
 かつて、1977年の初来日のときだったろうか、若きシフを聴くチャンスはあった。厚生年金ホールであった札響との競演に出かけようとしたら急な仕事が入った。タクシーで駆けつけたときには前半のピアノ協奏曲はもう始まっていた。もちろん客席には入れない。
 何本も大きな仕事を抱えて得意気に走り回っていたころのこと。仕事はおもしろいがそれだけだとようやく気づいた。だれもいないロビーで初めてうなだれた。

〈9/14 毎日新聞 梅津時比古「新・コンサートを読む」〉
 今年で34回目を迎えた群馬県草津町の「草津夏期国際音楽祭アカデミー&フェスティヴァル」。今年の開催期間8/17〜8/31。草津は標高1,200mの温泉保養地。夏も軽井沢並みにすごしやすい。
 ちなみに、札幌で開催されるパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)は今年で24回目。開催期間は7/6〜7/31。10歳も年長さんの草津に敬意を表してか、海外から招くゲストのスケジュールを考慮してか、開催期間ですみ分けている。
 この新聞記事は出色、異色のコンサートレポートである。少し長いが記事の要所を抜粋して引用する。

 「曲を通して、遠山と楽器は一体となり、聴いていて楽器の存在をすっかり忘れた。ピアノを弾かないで弾いている。楽器に力づくでものを言わせない。生まれてくる音に耳を傾けている。音が自然にモーツァルトとして鳴っている。」
 ・・・こうした体験は一般のわたしたちにもなくはない。わたしもキタラで何度か経験している。演奏会に出かけていった者だけが味わえる至福のときがある。

 「休憩が終わりに近づいても、美しい音が耳から離れず、そこにほかの音をまぜる気がせず、後半を聴くのをやめた。」
 ・・・想像できます。しかし、そこまでの経験はわたしにはない。
 この日のコンサートのお題は、シューベルト「ます」/ウェルナー・ヒンクと仲間たち。つまり主人公はPMFの講師としてもなじみ深い元ウィーンフィルのヒンクさんである。ピアニストの遠山慶子さん(1934年生まれの79歳)はこの音楽祭を始められたお一人である遠山一行さんの妻とはいえ形式上はお仲間のひとりにすぎない。その遠山さんがコンサートの冒頭でモーツァルトのピアノソナタヘ長調K332を弾き、つぎにヒンクさんとモーツァルトのバイオリンソナタ変ロ長調K378を演奏した。
 筆者の梅津さんは遠山さんの音に身も心も投じてしまったようだ。

 「ホールの外に出て、夕暮れ前の草津の森を一人で歩いた。青空がまだ残って、いわし雲が白い線を何本もかけていた。笹を分けて森へ入って歩いていると、遠く水の音が聞こえてきた。せせらぎがあるのかと思ったが、なかなか近づかず、不意に消えてしまった。風がやみ、静けさに満ちると、せせらぎに聞こえたのは、風による木々のざわめきと分かった。全く無音になった森の中を、黄色の羽の小さな蝶が舞って葉に見え隠れする。たくさんの音に囲まれているはずの森のこの静けさによって、世界と一体になれる気がした。
 遠山の音も、世界と融和する静けさだった、と気づいた。」
 ・・・なんともぜいたくな時間をすごされたものよ。
 群馬県生まれのわたしはこの音楽祭に参加したことはない。もし時間と多少の運がわたしの身に残るなら、早めにチケットと宿を予約して出かけてみたい。

〈10/11 札響10月定期公演より、ラドミル・エリシュカ指揮・チェロ首席奏者石川祐支による
ドヴォルジャーク「チェロ協奏曲」〉

 知人にメールで「札響10月定期に行こう」と呼びかけたら、Oさんからこんなうれしいメールが返ってきた。

 「石川さんのチェロの音色は、とても品位があって、透明感がありました。
 秋の澄んだ空気のようで、2楽章のチェロの旋律が歌う部分など、豊かで、本当に美しかったです。(中略)石川さんのチェロに大平さんはじめ弦パートがかぶっていくところなども、とても音色が調和しているように聞こえ、(私だけかもしれませんが)同じオケでいつも演奏している一体感のような繋がりを感じました。
 石川さんのアンコールは、バッハの無伴奏第6番サラバンドでこれも素敵でした!
 前半に集中しすぎて、後半、あまり覚えておりません・・・」

  こんなメールを頂戴すると、車椅子に乗ってでもコンサートに行きたくなる。
 わたくし、地元にいい楽隊と音楽堂がある幸せを東区本町病院のベッドの上でしみじみと思うのでありました。


写真注)2枚目は6月末に上京したとき、森美術館で開催されていたLOVE展から草間弥生さんの作品「愛が呼んでいる」。例外的に撮影が許されていたので夜景をバックに1枚。
 展覧会の最後を飾るのは札幌で生まれた初音ミクの映像。未来の可能性を示してというねらいでしょうが、安易でつまらない。軽くバカにされた感じ。
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by waimo-dada | 2013-10-15 17:45 | アートな日々
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