N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

前橋駅(2)

 詩人は、黙する祖父母のような存在であろう赤城についてうたうことを好まなかった。が、少し厄介なことに、町のそちこちに目に見えない自画像を涙のような点にして残した。わたしたちはそれを彼の詩とともに前橋の町を歩くなかで確信する。
 『郷土望景詩』の一連の詩がとりわけ強く美しく哀しいのは、「大渡橋」から「広瀬川」に続くあたりである。
 公園の木々や川面など往時を偲ばせる都市の記憶が朔太郎の影を浮かびあがらせる。
 歩かずとも彼の詩篇をたどれば、詩人と国土、そして郷土の関係を伺い知ることはできる。しかし何かが欠ける。歩いてわかることが残される。 

 詩人はたえず生きようとしていた。生きるとはひとりになっても自分を直立させ、川の流れに自分のいまを見ることである。川の流れ、と言ってしまうのが粗雑にすぎるとしたら、重力を蓄えながら足早に去ってゆく水の質量に抗しながら渾身の思いを託し、託す自分を見た。それゆえか、山に視線を向けてもついに山とうたいあうことはなく、「才川町こえて赤城をみる。」とあっさりと記した、のかもしれない。
 帝国海軍の正式航空母艦「赤城」が遠くミッドウェイの海に沈むのは、その先のことである。大勢の名もない、明治期からのニッポンの歴史と郷土、家の名誉とあまりに小さすぎるワタクシのすべてをひとつに束ねて直立する田園の兵士の群と、そこから微妙な距離にあった高名なひとりの詩人は、たまたま同じ一九四二年に死ぬ。
 彼らと彼があと三年生きていたら、とは言うまい。

 前橋の駅から赤城山に向うとしたら、山塊の中腹から鍋割山、荒山のあたりを歩くとよい。ツツジの花の盛りのころ、関東平野を一望する外輪山の稜線を歩いてから南面の赤城神社に下る道などは、人の気配も少なく、ただひたすらに明るい。
 また、もし萩原朔太郎の赤城と『郷土望景詩』の関係を見ようとするなら、「才川町こえて赤城をみる」地点と思しきあたりから前橋文学館、広瀬川、前橋公園へとたどり、「帰郷」の詩碑の残る敷島公園の河畔林を歩いて浄水場の庭に出るとよい。
 赤城の山がはればれと広がる風景が、いまもそこにある。
by waimo-dada | 2013-06-06 21:46 | わたしの駅
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