N爺の藻岩山麓通信


札幌・藻岩山麓を基地に旅するN爺のブログです(写真は原始ヶ原から富良野岳)
by waimo-dada

流れよ、北へ

 ふと気がつくと、2012年は津軽海峡の南に一度も行かなかった。1968年に北海道に渡ってきたから44年になるが、道外に仕事も私的な用事もなく、北海道のなかだけですごした。では北海道を忙しく旅をしたかといえばそんなことはない。娘といっしょに始めた不景気なカフェをなんとかしなければと始末に追われたが、これも現役バリバリの時代とくらべれば忙しくはない。心の身動きが取れないというか、だれからも制約を受けていないのにあまり自由がきかない。好き勝手にできない。なんだか神妙にしていた。自由自在に「ですっぱぎ」の本領を発揮しない年となった。
 ですっぱぎというのは群馬や茨城など北関東の方言で外出好きという意味。わたしは母方の祖母から隔世遺伝でこの個人的資質を引き継ぎ、大いに発展させてきた。いうまでもなく北海道に渡ってきたのにもこの特質が働いている。なので、ですっぱぎが外出や遠出をやめて陽の当たる縁側で猫といっしょにうたた寝をしている図は似合わない。それが、ほとんど旅に出なかった。日高や大雪の山は別にして旅行らしいものといえば秋に天塩川のほとりを巡ったくらいだった。

 音威子府(オトイネップ)の先、筬島(オサシマ)という砂澤ビッキの美術館のある土地を訪ねた。不景気なカフェを店仕舞いでき、ですっぱぎが戻ってきた。
 音威子府は遠い。長く流れる天塩川のわきを右に左に曲がりながら北に流れていく。ほおっておけば川にたぐられて北を向き、川のように流れていく旅になる。そこは札幌などで考える以上に深いアイヌモシリ、人間の大地である。
 考えた。あちこちに寄り道してから天塩川の水系に入ることにしよう。旅全体を右に左にうろつくようにしてしまえば遠いことも長いこともそれほど気になるまい、と。

 寄り道のはじめは上富良野町千望峠のフットパス。小高い丘の道から新雪の十勝岳連峰を見て歩く。考えただけでも気持ちのよい旅の始まりになるはずだった。が、旅もまた人生の一部分にすぎないと教えられるのが常だ。わたしの大好きな十勝岳連峰はその裾野を見せるだけで、どんよりと曇った空の下、収穫作業を終えようとしているビート畑の脇をしみじみと歩くことになった。 
 記憶に残るのは上富良野の町を見おろす松の木の下。馬頭観音の塚があった。開拓のしるしである。
 次に来るとしたら山に雪が残るころだろうか。
 札幌の藻岩山麓自宅発9:30、千望峠発12:15〜着14:45。全9.3km。(参考資料)「フットパスベストコース北海道Ⅰ」(ダイヤモンド社、2010)

 上富良野から美瑛を経て、東川町ユコマンベツの定宿ロッジ・ヌタプカウシペ。別荘代わりにしている常連さんが多い小さな山の宿である。簡素な温泉・食事の良さ、オーナー夫妻との楽しい会話の替えがたさは、泊まってみないとわからない。先を急がない、旅する人たちの宿である。
 その晩はオーナー夫妻と近しい店と人の話になった。軽井沢のカフェ「離山房(りざんぼう)」、札幌のおでん「一平(いっぺい)」、そして、ここヌタプにも寄った砂澤ビッキの話。わたしは明日ビッキを訪ねる。そんな旅の先にジョン・レノンが好んだ離山房が、たぶんある。
 わたしが愛した眼鏡のフレームのひとつがジョン・レノン・モデル。同じ時代を生きているから昨日知ったあなたとまだ知らないあなたを訪ねる。急いでなんかいないのに道の石どもにカツンとつまづきながら。

 それでも年をとるのは悪くないと思えるときがある。記憶の奥に散らばっていた物事が軽く引きつけあって細いロープのようになる。意味がつながる。錯覚にすぎないのかもしれないが、生きてきたことがむだではなかったらしいね、と安心貯蓄銀行から通知があった気分。
 旅に出る前、わたしは白老の町の道の奥に来ていた。林と農地が入り混じる、なんとも名づけようのない不安な道の奥に、廃校になったところを美術家たちが利用して、年に1回、「飛生(とびう)芸術祭」というアートイベントをしていた。目が痛くなるような小さな字でわからないことがびっしり表現してあるリーフレットに、ひとつだけはっきりとわかることが書いてあった。マレウレウとOKIがやってくる。これは行かなくちゃ。
 トンコリを抱いた世界の渡り鳥OKIは砂澤ビッキの息子でもある。音楽と立ち姿がまことにカッコいい。わたしのなかではメジャーな存在である。もっと売れていい。
 時間は前後するが、探していた織田(おりた)ステノさんのカムイユカラ(*)のテープを札幌学院大学の売店で入手できた。その足で新さっぽろギャラリーで開催していた東川町特別作家賞受賞者、宇井眞紀子さんの写真展「アイヌ、風の肖像」を観ることもできた。赤信号で止まっているばかりのような人生にもいい風が吹くことがある。 *「ユカラ」の「ラ」は小さく発音する。

 織田ステノさんのカムイユカラは泣ける。クト(**)ンク(**)トン、クトンクトン(同)というリズムにふれると、自然と涙で目があったかくなる。そのリズムはこの人間の大地に普通にあったにちがいない。そう思うと悔しい。あったかい涙にせつない涙がまじる。もうひとりの人間(和人たち)のしてきたことがほんとうに悔しい。
 わたしがステノさんのユカラを大学の集会室で聴いたときは風邪を引いているが気分がいいのでやります、ということだったが、いまでは奇跡のように思える。1988年9月10日の小さなライブだった。
 織田ステノさんは1994年に亡くなった。
 わたしは織田ステノさん、好きだった。母方の祖母に似ていた。
   **小さい「ウ」の発音が入る。

 旅は鉄道のレールのようにはつながらないが、なにかの折に風と水でつながる。そして低い分水嶺の塩狩峠を越えて上川地方の北部に入る。
 天塩川は支流を集めて北に流れる。流域は北に傾いている。北を向いている。南に流れる石狩川とのちがいはここに発する。
 人は語らないが北海道の心性は天塩川の流域にあるのではないか。ふとそう思うことがある。より北海道らしいといわれる道東のような劇的要素をもたないのに。スター選手を持たない地味なチームゆえに見逃される、いいようのない特性、土地の底からひっそりと立ちのぼる気配のようなものにわたしはひかれる。

 たくぎん総合研究所というシンクタンクに在籍したころに「上川北部地域」の広域観光計画をつくる仕事に関係した。北海道上川支庁と市町村の担当者に同行して地域を回り、助言指導するという仕事である。この仕事はふたつの意味で並の請負仕事ではなかった。
 まず、丸投げを拒否して「みんなでつくりましょう」と言いつのった。かわいくない業者である。
 次に、これはかなり本質をついたつもりだが、並の観光計画とすることを避けようとした。それにはいささか考えがあった。北海道にひとつくらい観光地にならない地域があっていいのでは。いや、そんな地域があるべきだ、とわたしは本気に考えた。脱観光! 並の観光地と頭を並べることがむずかしいのであれば、いっそのこと観光地にならないことを選択したらどうか。そこに並の観光地とは次元のちがった地域発信の可能性がありはしないか。
 (続く)

 
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by waimo-dada | 2012-12-31 20:40 | 山と旅
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